2013年07月25日

国立音大ニュータイドは出ちゃダメなの?ー山野ビッグバンドジャズコンテストの意義

毎年、学生ビッグバンドがしのぎを削る「山野ビッグバンドジャズコンテスト」。
昨年1位の「国立音楽大学ニュータイドジャズオーケストラ」が出場辞退だそうです。
http://www.geocities.jp/newtide_jazz_o/
「大学側より国立音楽大学宛に、一般を名乗る方より『ジャズを専門に学ぶ学生が山野に出場するのはいかがなことか』との投書があった」のがきっかけのようです。

それを聞いて、「ああ、そんな事を言う人もいるだろうなぁ。」というのが私の感想でした。

音大のビッグバンドがアマチュアのコンテストに出る事については色々ご意見があると思うのですが、まずは、山野ビッグバンドジャズコンテストについて「開催の趣旨」「参加者の捉え方」の2つの視点から考えてみます。
(まぁ、ホントに余計なお世話でしょうけれども。)



山野楽器のサイトには「開催趣旨」として「ビッグ・バンド・ジャズの普及と振興、並びに音楽教育の一環としての役割を担う」とあります。
http://www.yamano-music.co.jp/docs/ybbjc/info/aboutybbjc.html



これを踏まえて、歴史を見てみます。
http://www.yamano-music.co.jp/docs/ybbjc/siryoukan/history.html

第1回(1970年)のときには「山野ビッグバンドサークル」というものがあったようで、月に1度、ブルーコーツやニューシャープスなどのトッププロのビッグバンドのクリニックで、学生バンドの各メンバーの隣にプロのメンバーが座って指導していたようです。
時代的にはサミー・ネスティコがカウント・ベイシー楽団に編曲を提供し始めた頃でしょうか。
当然、日本に入ってくる情報はごく僅かで、プロも試行錯誤していたと思います。
(当時使っていたであろうブルーコーツの楽譜を見ると、そう思います。)
学生さんにとっては、一番情報を持っているであろうプロの方のレッスンを受けられるのは貴重だったと思います。
そして、その活動成果の発表の場として「第1回ビッグバンドフェスティバル」があったようです。

「クリニック」と「フェスティバル」のセットとして始まったようです。
(今、こういう事をやればとても良いように思います。)

第5回(1974年)のときにコンテスト形式になったようですが、第8回までは主催は「山野ビッグバンドサークル」であったようですし、学生さんにクリニックし、ステージで成果を発表するというスタイルは踏襲されていたのではないでしょうか。
推測ですが、名前が「コンテスト」に変わっても、同じサークルに所属する学生ビッグバンドの「フェスティバル」という性格は変わっていなかったのではないでしょうか。

第12回(1981年)で「演奏後の審査員による寸評」が始まったそうです。
これも、事前の「クリニック」などと同様、教育の一環として始まったのではないでしょうか。

ちなみに私がライトのトラで出場したのは第26回(1995年)のようです。
私は当時学生ビッグバンドに関して殆ど何も知らなかったのですが、同世代の方の話を聞くと、「複数のバンドで出場する」とか「フリーターや若手のプロが混じっている」とかいうこともあったようです。
この頃はまだ、「コンテスト」と銘打っていても「フェスティバル」としての性格はあったのでしょう。
(少なくとも、私の周りで悲壮感を漂わせながら参加している人はいなかったような気がします。)

当時、既に「山野ビッグバンドサークル」というものは無かったのではないかと思いますが、いつ頃まであったのでしょう?
「コンテスト」に付随する「クリニック」も既に無かったように思います。

第34回(2003年)に録音による予選選考会が開始されました。
参加バンドが多くなって、2日間で全バンドが演奏するのが時間的に難しくなったからでしょう。

バンドのメンバーを事前に登録しなければいけない(複数バンドに参加不可)とか、
学生でなければならない(学生証によるチェック)とか、
バンドのメンバーの半数以上はその大学に籍がないといけないとか、
このあたりから規定が厳しくなって「コンテスト」が「コンテスト」らしくなってきたような気がします。

(個人的には、この頃に関わっていた学生さんの、コンテストで良い結果を出すという事に対するこだわりが余りに強く、正直「楽しいのかな?」なんて思う事もよくありました。)

第40回(2009年)からは予選が東西に分けて実演審査に。
おそらく、録音による審査では録音方法によって大分差が出てくるし、誰が演奏しているか分からないし、という事でしょうか。



山野ビッグバンドジャズコンテストの長い歴史を見ると、
元々「クリニック」と「フェスティバル」のセットだったものが、
徐々に「コンテスト」に変質していったように感じます。

各バンドの技術的水準にばらつきがなくなり、「コンテスト」が白熱してくるとなれば、
公正な「コンテスト」にするためにも、規定を細かく決めなければならないでしょう。
全バンドが同じ条件の下で競ってこそ「公正」だと感じるのでしょう。



タイトルの「国立音大ニュータイドは出ちゃダメなの?」ですが…

「コンテスト」が白熱していて、公正さを保つ為に規定が厳しくなっている流れの中で、
楽器演奏の実技試験に合格して入学している音大生と、そうでない大学生との間に、
楽器をコントロールする技術の差は確実にあるわけで、
その点で、同じ土俵で勝負するのは不公平であると私は思います。

また、大学で楽器をコントロールする技術を(場合によってはジャズを)専門に勉強することによって、更に差は出ると思います。

現状の「なるべく公正な審査をして順位を付けるコンテスト」であれば、やはり出ない方が無難ではないでしょうか。


ただ、私は、音大を除外するのが良いとは思っていません。
コンテストが非常に白熱して盛り上がっているのですが、
それをもうちょっと主催者が開催趣旨を踏まえてコントロールしても良いのではないかなぁと思っています。

私だったら、「コンテスト」をもっと「フェスティバル」に戻すように出来ないか考えると思います。
例えば、審査方式に「欽ちゃんの仮装大賞」の方法を採用するとか、審査員それぞれの名前を冠した賞を設けるとか、厳正な審査よりも、審査員それぞれの音楽的趣味が前面に出た審査の方が良いように思います。

もしくは、山野ビッグバンドジャズコンテストとは別に、同規模のフェスティバルがあっても良いのかも知れませんが。


…ま、外野でなんだかんだ言うのは簡単ですが、実際にイベントを動かしていくのは大変でしょう。
参加する学生バンドさんもそれぞれに大変な事があるでしょう。
何かあれば、私も出来るだけ協力したいとは思っています。


--

私のビッグバンドのライブがあります。

次のライブは8/22(木)、場所はいつもの新宿SOMEDAYではなく江古田Buddyです。
ミュージックチャージに学割を設定してみました。
夏休みという事で、学生さんにも是非聴いて頂けたらなと思っています。

宜しくお願いします。


2013.8.22(木) 羽毛田耕士ビッグバンド@江古田Buddy(03-3359-6777)
music charge: 一般¥3,500 学生¥3,000 (in 1drink)
open: 18:30 start: 19:30

羽毛田 耕士(leader/tp,flh/comp,arr)
萱生 昌樹(as,ss), 菅野 浩(as), 吉本 章紘(ts,fl), 中江 裕気(ts), 中村 尚平(bs)
仲 兼一郎(tp,flh), 上石 統(tp,flh), 赤塚 謙一(tp,flh)
榎本 裕介(tb), 川原 聖仁(tb), 小林 稔(tb), 朝里 勝久(btb)
板垣 光弘(p), 芹沢 薫樹(b), 粕谷 謙介(d)


http://buddy-tokyo.com/
http://yasushihaketa.com/bigband/


http://buddy-tokyo.com/
http://yasushihaketa.com/bigband/


posted by はけた(^-^) at 14:18| 東京 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そもそも、山野ビッグバンドジャズコンテストの事務局がいい加減なルールのまま放置してきたことが最大の問題です。 日本ではバークリーメソッドを音大で教えるなどもってのほかという体質だったからこそ一般大学の軽音学部が支えてきた日本のジャズだったわけで、洗足に続いて国立など古くさい日本の音大がジャズ科を受け入れたことで当然、一般大学側はアメリカのようにどこの大学にもあるように音楽学部[School of Music]を持つべき時代に入ったということを意味します。
国立の連覇が続いたことで露呈したことは、これまで全日本吹奏楽コクールのように3年連続で1位金賞取ったら翌年は名誉あるゲスト出演として参加してコンクール評価は1回休みという仕組みに習えと言ってきたのに実行してこなかったということだ。 同時にYBJCの実態は他大学の学生や卒業生[卒業しないオーバーバチラー含]の虎[トラ]演奏があまりにも多すぎることだ。 演奏者全員の在学証明書提出と他大学生などの出演申請書[3名までが妥当]提出を義務づける必要がある。 国立ニュータイドはよくぞこの事務局の怠慢を露呈してくれたと感謝していおります。      
Posted by Naomitsu Kuno at 2013年08月19日 12:22
札幌在住の小林といいます。高校の頃からジャズを聞いていまして、東京での学生生活2年目に、ビックバンドサークルという名称で始まりました。1961年が第1回です。東京、神奈川、から。名古屋からも。専門学校も。山野楽器がスポンサー。確か十数校がエントリーしました。ゲストに原信夫&シャープス&フラッツ。先に学生バンドが演奏。そして、プロバンド。学生バンドの3倍位の音量に聞こえました。審査員に前田憲男がいました。学生の先生でした。優勝は法政のニュウオレンジOchだったと思います。バンドリーダーは伊庭(いば)さんだったと思います。トンボーン。卒業後山野楽器に入社されました。そしてこの大会の担当になります。今日はこの辺で失礼します。
Posted by 小林かずゆき at 2014年08月06日 21:37
国立ニュータイドが自主的に辞退するのは彼らの判断として、同じ音大の洗足は出場を続けています。従って、ニュータイドの辞退に山野の運営が引きずられる方向で、何かを変えるということはすべきでないと思います。

またKunoさんのご指摘の「エキストラ」制限ですが、山野のためだけに数ヶ月一緒に演奏する人は厳しく制限してもいいと思います。一方、学籍が違うだけで通年活動しているのはエキストラではありません。ビッグバンドはインターカレッジの活動が普通であり、山野は「学校対抗」ではないので、これを制限するのはおかしいです。(ただ、両者の見分けがつかないのが難点ということは認めます・・・。)
Posted by Muramatsu at 2015年09月09日 00:33
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